ボルドー観光案内 vol.2 サン・タンドレ大聖堂とペイ・ベルラン塔

vol.1 ではブルス広場と水鏡について書いてみたが、今回は第2弾として、サン・タンドレ大聖堂(Cathédrale Saint-André)と、その鐘楼であるペイ・ベルラン塔(Tour Pey-Berland)を紹介したいと思う。こちらもボルドーに来たら外せない重要観光スポットだ。

vol.1 はこちら

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サン・タンドレ大聖堂は、「月の港ボルドー」の一部としてだけでなく、「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の教会の1つとしても世界遺産に登録されている。

 

 

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サン・タンドレ大聖堂

サン・タンドレとは聖アンデレのことで、イエス・キリストの12使徒の1人。「聖☆おにいさん」を読んでいる人にはお馴染みの、漁師兄弟の弟のほうである。

聖アンデレはギリシャでX形の十字架にかけられて殉教したと伝えられているが、ちょうどそのときにアキテーヌで伝道中だった聖マルティアリス(Saint Martial)という人が奇跡の夢のお告げでこのアンデレの殉教を知り、彼のために聖堂を開いた、というのがサン・タンドレ大聖堂の起こりとされている。1488年には、ローマ教皇インノケンティウス8世によって、「世界で最初に聖アンデレに捧げられた教会」というお墨付きももらっている。

ただしこの話は中世に信じられていた伝説で、実際にボルドーで最初の大聖堂が建てられたのは、ガロ・ローマ時代の4世紀頃と考えられている。しかし、このときの聖堂は、ゲルマン人やイスラム勢力やノルマン人の侵略によって破壊されてしまった。

11世紀になって聖堂はロマネスク様式で再建され、1096年には第1回十字軍の派遣を呼びかけたことで有名な教皇ウルバヌス2世によって聖別された。1137年には、後に”ヨーロッパの祖母”と呼ばれるようになるアキテーヌ女公アリエノール・ダキテーヌと、ルイ7世となるフランス王太子の結婚式がここで行われている*1。その後12世紀から徐々にゴシック様式で改築・増築を重ねて今の姿になったため、建物には様々な年代の部分が混在している。

この手の聖堂は、たいてい東側を向いた十字架の形で作られ、祭壇が東の奥(十字架の頭)のほうにあり、西側(十字架の足の部分)にメインの入口が設けられるのが普通である。パリのノートルダム寺院もそうだし、同じボルドーのゴシック様式の聖堂であるサン・ミシェル教会もそうなっている。しかしサン・タンドレ大聖堂は、メインの出入り口が北側にあるという特異な構造をしている。これは、この大聖堂がガロ・ローマ時代からの街の城壁の南西の角に位置していたからで、建物の西側がこの城壁と一体化していて出入り口が作れなかったことによるそうだ。今でも西側の壁は飾りっ気も何もあったものではなく、華やかなフランボワイアン・ゴシック様式で飾られた他の部分との違いに驚かされる。

 

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立派な北側ファサード

 

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西側はびっくりするくらいただの壁

北のバラ窓の下の入り口から中に入る前に、その少し西側にあるもう一つの門をチェックしてほしい。これは「王の門 Porte Royale」と呼ばれ、外から見える部分のうちでは最も古く、1250年に作られたものだ。

 

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現在出入り口として使われている北門や、反対側の南門*2がフランス革命で深刻な破壊行為に遭う中、この王の門は当時すぐ近くまで別の壁が迫っていたおかげでそのまま生き延びた。ドアの上のタンパンと呼ばれる部分は、最後の審判の彫刻で飾られている。現在は石の色だが、昔は彩色が施されていたそうだ。近年修復が終わったばかりで綺麗。

扉に向かって右下には、サンティアゴ、すなわち聖ヤコブが、帆立の貝殻がついた巾着を持った姿で立っている。聖ヤコブの墓所を目指す巡礼の道の途中とあって、ここだけではなくボルドーの街のいたるところで、聖ヤコブのシンボルである帆立貝のマークを見ることができる。

 

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どれかわかりますか?

 

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この人です

王の門は、1615年にこの大聖堂でルイ13世とアンヌ・ドートリッシュが結婚式を挙げた*3後に閉ざされ、今では出入り口としては使われていない。

代わりに出入り口となった北門は1330年の作で、3段になったタンパンの彫刻は下から順に、最後の晩餐、12使徒に囲まれたキリストの昇天、最後の審判を示している。2段目は頭を雲に突っ込むことで昇天を表しているのだろうか…。

 

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ちなみにここでも聖ヤコブと、大聖堂の名前になった聖アンデレを見ることができる。聖アンデレのほうはX形の十字架を持っているのでわかりやすい。*4

 

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中に入ると、正面は南のバラ窓である。今入ってきた北門の上のバラ窓と合わせて、16世紀に作られたもの。

左手には祭壇があり、右手奥にはパイプオルガンが見える。夏にはオルガンのコンサートも行われていた。

 

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残念ながら、オルガンも含めて内装は全てもともとこの大聖堂にあったものではない。フランス革命で建物は聖堂としての機能を奪われ、歴代ボルドー大司教の集めた宝物類や美術品をはじめ、価値ある調度品は全て革命政府の資金源にされてしまった。飼料倉庫として、あるいはキリスト教を否定した無神論的理性崇拝のための「理性の寺院」として、またあるいは愛国的な集会の場として使われていた大聖堂は、19世紀に入ってナポレオンとローマ教皇が関係修復の宗教協約を結んだことで、元の役割を取り戻した*5。が、この間に受けたダメージから回復するには長い時間が必要だった。

 

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今あるもののほとんどは他の教会から移されたり個人から寄贈されたりしたものだが、身廊の南側の壁(大時計の右側)にかけられている17世紀の大画家ヤーコブ・ヨルダーンス作のキリスト磔刑図は、革命軍がアントワープで押収してきたものだそうだ。

ペイ・ベルラン塔

「北側の出入口」の他に、もうひとつサン・タンドレ大聖堂で特徴的なのが、建物本体から独立した鐘楼である。聖堂から鐘楼が独立しているのは特にイタリアで多く見られるスタイルで、フィレンツェのドゥオーモにあるジョットの鐘楼を思わせる。

イタリアはどうなのか知らないが、ボルドーの場合、これには非常に現実的な理由がある。街が湿地帯にあるため地盤が弱く、鐘楼を聖堂本体に繋げて作ると、鐘の振動が聖堂の構造に大きな悪影響を及ぼすことが懸念されたのだ*6。ボルドー大司教で、ボルドー大学を創設した人物でもあるペイ・ベルランは、聖堂を守るために独立した鐘楼を採用し、建設は1440年から半世紀近くかけて行われた。鐘楼は彼にちなんでペイ・ベルラン塔と呼ばれ、大聖堂のある広場全体もペイ・ベルラン広場と名付けられている。

 

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塔の高さは50 m

塔を作ったはいいものの、実はここには長いこと鐘がなく、鐘楼としての役割を果たすようになったのは、着工から実に400年以上後のことである。内部を区切って住居として使われていた塔は、1667年の嵐で損害を被り、革命期には道路拡張に伴って取り壊しの計画まで持ち上がった。市民の反対で難を逃れたものの、売却された塔は猟銃用の散弾工場となり、教会に買い戻されたのは1851年のこと。そこでやっと4つの鐘が設置され、晴れて本来の鐘楼となった。鐘は小さいほうから、クレマンス、マルグリット、マリーII、フェルディナン・アンドレII世*7と名前がついている。

 

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てっぺんにある金色の像は、パリの彫金師アレクサンドル・シェルティエによって作られた聖母子像で、「ノートルダム・ダキテーヌ」と呼ばれている。像は塔に鐘がやってきた後に設置されたもので、ペイ・ベルラン大司教の生まれ故郷の方角を向いているのだそうだ。

 

塔は有料で見学者に開放されていて、231段の狭いらせん階段で上まで上ることができる。正直階段はかなりキツイが、上まで行けば360度ボルドーの街を見渡せる。

 

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南東方向にはピエール橋とサン・ミシェル教会

 

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大聖堂を上から。洗浄作業中で半分だけ白い

 

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トラムもすっかりかわいらしいサイズ

 

気がつけばずいぶん長いエントリになってしまったが、それだけ多くの歴史を背負った大聖堂と鐘楼。ひんやりと静かな聖堂でしばし休憩しながら、おごそかな気持ちでその波乱万丈の日々に想いを馳せてみてほしい。

 

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ヴィタル・カルル通りから見る大聖堂の眺めが好き

vol.3 もどうぞ↓

アクセス・開館時間

 サン・タンドレ大聖堂

Cathédrale-Primatiale Saint-André de Bordeaux — cathedrale-saint-andre

月曜日 14時-19時

火曜日・木曜日・金曜日 10時-12時/14時-18時

水曜日・土曜日 10時-12時/14時-19時

日曜日 9時30分-12時/14時-18時(10時30分から礼拝)

見学無料

 

 ペイ・ベルラン塔

Tour Pey-Berland à Bordeaux

6月-9月 10時-18時

11月-5月 10時-12時30分/14時-17時30分

入館は各閉館時間の30分前まで、一度に入れる人数に制限あり

休館日:1月1日、5月1日、12月25日

料金:6ユーロ(18歳未満無料、18-25歳もEU在住であれば無料)

9月第3週の週末、11月-5月の第1日曜日は無料開放

Webサイトでチケット購入可(英語あり、1年間有効)↓

e-billetterie du Centre des Monuments Nationaux

ボルドー観光案内所発行のBordeaux Metropole City Pass対象

 

 トラムA線、B線  Hôtel de Ville 下車

 

 <参考>

 

*1:この夫婦はこの後離婚し、アリエノールが後年イギリス王ヘンリーとなるアンリと電撃再婚したせいで、フランスの半分以上がイギリス領(アンジュー帝国)になるという事態が発生し、百年戦争につながっていくことになる。

*2:聖母マリアの像で装飾されていたが、これは完全に失われてしまった

*3:後年、この夫婦の息子であるルイ14世も、母親とマザラン枢機卿と共にこの大聖堂を訪れている

*4:もちろん2人ともタンパンにもいるはずなのだが、ちょっと情報が少なくて私にはどれが誰だか不明。

*5:皇帝即位の年にボルドーを訪れたナポレオンは、大聖堂の修復を命じている。

*6:サン・タンドレ大聖堂よりさらにガロンヌ川の近くにあるサン・ミシェル教会も、同じように独立した鐘楼を持っている。

*7:最初はI世だったが、重すぎたりヒビが入っていたりしたのでII世に取り替えられた