おせちの話

年末から年明けにかけて、こんなニュースが話題になっていた。

b.hatena.ne.jp

ニュース本文より先にはてブコメントを見ていたのだが、福岡から発送の冷凍おせち、というところで「んっ?」となり、 本文を読んでみたら、やはり博多久松だった。

(名前を出したので念のため書いておくが、この件で博多久松に落ち度はない)

px.a8.net

実はここのおせちには、私も何度かお世話になっている。Amazon経由で一人用おせちが買えるので大変ありがたいのだ。おせちなのでそれなりに値段はするが、他と比べるとリーズナブルだし、味も良いと思う。それにこのお店は私にとっては地元にあたることもあり、おせちについてくるお雑煮の出汁が求めているものドンピシャの味で、このお出汁単品で売ってくれないかなと思うくらいである。一度他のお店のおせちを試したこともあったが、次の年にはこちらのものに戻ってきた。

今回の配送ミスの件で、こんな繁忙期に九州から北海道まで日本縦断なんかさせるからだというような意見があり、日本縦断まではいかなくとも、九州から東京まで半縦断させていた私としては耳が痛い話である。

 

このところ数年間、私は意識的に実家から距離を置いていた。(まあ今も多少その延長のようなものなんだけれど。)残念ながら、私にとって帰省は大MP消費イベントになってしまったからだ。「あんたが帰ってこないとお正月らしくならない」と母に電話で詰られながら、「仕事が忙しくて」と言い訳して帰省を回避し続けた。その家族のお正月を”お正月らしく”するために、私がどれだけ気を遣っていたか気付いてもいないのだろう。大の大人が3人も揃って、お正月くらい自分たちで祝えるようになってもらいたい。

そういう気持ちの一方で、帰省しないことへの罪悪感みたいなものも大きかった。周りの人々も年末が近くなると、「実家帰らないの?」「お母さん寂しがっちゃうね」と100%無邪気に声をかけてくる。テレビなんかも「家族ってあったかい」的な絆ムードになり、東京のアパートでひとり過ごす私は、なんだかジリジリと追い詰められているような気分だった。

だから、私は自分の意志でひとりで残っているのであって、お正月だってひとりでも十分満喫できている、という、何か目に見えるしるしが必要だった。別にSNSに写真を上げたりするわけではなく、本当に自分を納得させるため、自分の中に内在化した”世間様”をねじ伏せるためだ。そんなわけで、一人暮らしでおせちなんかいらないだろうと思う向きもあるだろうが、私にとってはおせちは「ひとりでもお正月できている」ことのわかりやすいシンボルとしてちょうどよかったのである。

何万も交通費をかけて帰省して、くたびれただけで戻ってくるのに比べれば、おせちの値段なんか何ほどでもない。家族で食べるのが基本なサイズのおせちが多い中、一人用おせちはそういう意味で私を助けてくれたし、罪悪感に足を引っ張られて毎回予約が遅くなるので、ネット上で結構遅くまで予約を受け付けてくれる博多久松は本当にありがたかった。

 

結局何が言いたいのかといえば、博多久松さんも、年末に毎回指定通りにおせちを届けてくれたヤマトさんも*1、本当にありがとうございましたということだ。今回はこんなことになってしまっておせちが届かなかった人はとても気の毒だが、年末年始働いている人がみんな報われて、できればミスも減るような余裕のある働き方ができるようになれば最高だなと思う。

まあそもそも、荷物が基本的に指定通りに届くっていうだけで素晴らしいことですからね!(海外在住並感)

 

*1:いつもちゃんとカチンコチンに凍った状態で届いていた