祝ノーベル賞!
「ライフサイエンスが専門の日本人」という大きすぎるくくりでしか共通項がないのでもはやおこがましいレベルだが、やはり誇らしく思う。
本庶先生のお話は去年のConBioのプレナリーレクチャーで1回拝見したのみだが、免疫もがんも(というか動物の話が)ド素人な私はそもそも本庶先生を知らず、「プレナリーなんだから偉い人なんだろう」くらいな認識しかない状態だったものだから、ご発表前の演者紹介で「ここに来ている人で本庶先生を知らない人はいないと思いますが…」と言われ、あっすみません、と小さくなっていたような有様だった。
そこでPD-1のことも初めて知って、ほーそんな素晴らしい話があるんだなぁ、と小学生のような感想を抱いたのを覚えている。基礎研究が人類を救うとても美しい例が現在進行形で目の前にあるというのは、なんの役に立つ目処もない研究を日夜続けている私達にとっては大変幸せなことだ。
さて、日本はさぞやお祭りムードなのだろうと思われるのだが、そんな中で流れてきた記事があった。
本庶先生をはじめこの分野で人類の夢を叶えつつある皆さんには本当に失礼なことだとは思うが、正直なことを言えば、”がん”と”免疫”というワードが合わさったときに私の中でまず立ち上がるのは、「うさんくさい」という警戒心である。
少なくとも学会から離れた一般社会では、がんに限らず、治療が困難だったり辛い症状と長く付き合わねばならなかったりするような病気について、「免疫で治す」などと言い出した場合、その話はかなりの確率で眉唾ものであるという認識はたぶん間違っていないと思っている。
免疫はヒトにもともと備わっている仕組みだから、なんとなく自然に近くてイイような感じがして、いわゆる代替医療の人々が患者さんを丸め込むのにはうってつけのワードなんだろう。Amazonで「がん+免疫」で本を検索すると、ノーベル賞で関連書籍が売れているであろう今でも、1ページ目で既に内海聡氏の本など怪しげなものがちらほら出てくる。
私もそういうのに引っかかりやすいタイプの家族がいるので全く他人事ではないし(この前久しぶりに帰省したら、本棚に近藤誠氏の本があって頭を抱えた)、今こんなことを書いている自分自身だって、家族や近しい人や自分自身がショッキングな宣告を受けて絶望の淵にあるとき、自力で正しい選択ができるかというと怪しいものだ。そこで主治医を信頼して従うことができるなら問題はないのだが、医師だって皆完璧なわけではないので実際そうもいかないことだってあるし、手元のネットで何でも調べられるという便利さが、患者側の「自分は素人である」という意識を吹っ飛ばして、まずい方向に頑なにしてしまうこともあるだろう。そんな誰しも心が弱り目が曇ってしまうタイミングに、救いの神のような顔をしてつけ込む代替医療は、明らかに邪悪と言う他ない。
インチキが悪なのは大前提として、標準医療や科学の側でも、患者さんを含めた一般社会とのコミュニケーションにおいて不十分なところはあるんだろうと思う。特にあのSTAP細胞問題のときに痛感したことだが、科学の世界には独特の言葉遣いがあって、長く科学に浸かっていると、それが一般の感覚とズレていることをだんだん忘れてしまうのだ。
代表的なのは、「可能性はゼロではない」だろう。これを言う科学者の方はほぼ限りなくゼロのつもりで言っているのに、言われた方は「なんだ、可能性あるんじゃん」と受け取る、ということが頻繁に発生する。
上の記事にも書かれているし、どこか別のところでも読んだのだが、代替医療に絡んで出てくる大きな言葉の問題に、標準医療の”標準”という単語が与えるイメージのギャップがあるそうだ。
「標準」をデジタル大辞泉で引くと、こう書いてある。
1 判断のよりどころや行動の目安となるもの。基準。「標準に合わない」
2 平均的であること。また、その度合い・数値。並み。「標準に及ばない」「標準の体重」
科学者は1の意味で言い、一般の人は2の意味で受け取る、というすれ違いが起こるのだ。つまり「標準医療」と言ったとき、医師側では「確実」「王道」というニュアンスなのにもかかわらず、患者さん側では、いわば松竹梅の竹コースと思ってしまうわけで、そうなると松コースを提供してくれる誰かを他に求めるのは至極当然な流れだ。
「ゼロではない」の方は、「ゼロとは言い切れないから仕方なくこう言うけど、この表現ってわかりにくいよね」という意識があるし、例えば「まだ間に合う可能性もゼロではない」とか、自分も科学の文脈から離れれば一般的な使い方をするので、ここで齟齬が生じるのはよくわかる。でもこの「標準」については、私の場合「標準医療」のひとかたまりでインプットされていたこともあり、この話を初めて聞いたとき、そんなこと思いもよらなかったと驚いてしまった。
理系の学問だって、説明するのは言葉だ。
去年か今年か忘れてしまったが、生物の教科書に載っている遺伝の法則の「優性」「劣性」を、まるで遺伝子に優劣があるかのように誤解を与えるからということで、「顕性」「潜性」に書き換えることにするというニュースが話題になった。
そのうち、「標準医療」にも、もっとわかりやすい別の名前が与えられる日が来るのかもしれない。