ネットでニュースを目にして、慌ててテレビをつけた。
パリのノートルダム大聖堂で火災。それもかなり被害がひどい様子。
もうすぐ日付も変わろうかという時刻だったけれど、煙を上げる大聖堂を背に、駆けつけたマクロン大統領が「我々はノートルダムを再建する」と静かに会見をしていた。
私はクリスチャンではないし、フランス人でもないし、今はフランスに住んではいるけどパリは遠くて、ノートルダム大聖堂も去年いちど訪れただけだ。
でもその一度だけでも、あの建物が特別な場所であることはよくわかったつもりだ。
地方都市ボルドーから初めて行ったパリはスケール感が全然違っていて、ノートルダム大聖堂もその壮麗さに圧倒された。
そして、建物そのものの素晴らしさもさることながら、パリというフランスの中心の、さらに精神的な中心であり、激動の歴史をくぐり抜けたあの街でずっとそこに在り続けた、何か矜持のようなものを感じ取った。
それは時には地方民にとって鼻につくパリの傲慢さでもあるのかもしれないけれど*1、フランスぜんぶを背負って祈りを捧げる大役を果たす誇り高い姿に、畏敬の念を抱いたのだった。
人類の宝である名建築が一部とはいえ失われることも、人々の祈りの場が傷つくことも、そしておそらくこの国の多くの人が悲しむことも、私はただのいち外国人だが全部辛い。
自分の生まれるずっと前からそこにあって、自分の死んだ後もずっとそこにあると信じて疑わなかったものが、こんなに簡単に燃えてしまうというのは、単純にショックでもある。
火災の起きた昨日の日暮時、ボルドーは突然の嵐で激しい雨に見舞われ、私は川のようになった道で足元をずぶ濡れにして帰宅した。この雨があのときパリで降っていたら何か違っただろうかと、何にもならない想像をしてしまう。
願わくは被害ができるだけ少なくて済みますよう、そして元の姿に戻れますように。
*1:フランスの地方都市の人々は基本的にパリが嫌いらしい